ブラジル貧困街の子どもたちの居場所キロンボテノンデーを存続の危機から救いたい 3/5

ブラジル北東部バイーア州都サルヴァドールの貧困街で30年前に創立した自給自足を目指す共同体「キロンボテノンデー」。15年前に本拠地移転以降半ば放置されて来た敷地が存続の危機に陥っています。キロンボを再生し、ブラジルの貧困街からオンラインでもブラジル=日本の子ども・若者たちが繋がり学べる場に再スタートさせる、そんなプロジェクトを応援してみませんか。

澤 明日香
(キロンボテノンデー、サルヴァドール支部代表)

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5. 貧困から起こる犯罪よりも、多様性豊かな生態系と共存する教育の場を

サルヴァドールのキロンボでは、2015年に私が居住を始めてから少しずつ活動を再開し、それ以降すでに何人もの、特に若者の生活サポートをして来ました。しかし主に私とコブラマンサ師の個人レベルでの運営をしているため、その対応にも限界がある場合がほとんどです。

主にファヴェーラでの地に足が着かない、その日暮らしをしている若者が必然的に居場所を求めてやってくることが多いため、その子たちを上手くサポートし、彼女ら彼らの下の世代である子どもたちのお手本になってもらえるような、そんな環境をこれから構築して行くのがねらいです。

30年前にコブラマンサ師がキロンボを始めた頃、その後10年ほどの間に当時子どもとしてプロジェクトに参加していた子たちが現在20代後半になり、度々キロンボを訪れます。彼らの当時の友たちにはその後ドラッグに手を出し殺された、などという子たちも数人いるそうです。

[2004年、文具の配布、バナナ植林、食育などが行われていた頃。]

[下:2021年も犯罪の被害者が増加するバイーア州、特にファヴェーラが集中するペリフェリア(都市周縁部)に被害者が多い傾向にある。]

【生態系の一部としての人間と動物たち】

知り合いに飼育放棄された成犬、キロンボの前に捨てられていた仔犬など、現在7匹の雑種犬たちの保護活動をしているのも、サルヴァドールは実は動物たちにとってもかなり過酷な環境なのを見て来たからです。

避妊・去勢もそこまで浸透しておらず、「ペット」として「価値」が無いなどと簡単に捨てられた雑種犬・猫たちが巷に溢れており、そのような動物たちは行政の支援がほとんど無い状態で民間の動物愛護団体や個人の手に委ねられています。

キロンボでは、ペットでは無く生態系の一部としての動物と共存することを大事にしながら、なるべく自然な状態で犬たちとの生活をしています。しかし都会に暮らす犬猫たちにとって、避妊・去勢手術をするのは避けられません。

そんな動物たちとの共存の仕方を子どもたちに伝えてゆくのも活動の一部にする準備もしています。

[2021年、コンポストも完成し土作りも順調。少量だが採れはじめた野菜を見ているのは飼育放棄された雑種犬のうちの一匹「しげを」。パッションフルーツは花も葉っぱも煎じて飲める。]

6. 日本とも交流できるキロンボを作ろう

私がサルヴァドールのキロンボ救済を日本のみなさんにお願いしようとするのには、もう一つの目的があります。

それは日本でも「キロンボ的生き方」を通して、既存するシステムからちょっと離れた生き方のヒントを共有できたらという想いから、ファヴェーラ現地からキロンボ再生の様子までを配信したり、ワークショップ、交流会などを共有できる「キロンボ寺子屋」プラットフォームも同時に立ち上げたいのです。

まずそのために、2月にブラジル帰国後には現地の人々と、キロンボのSNSを通して発信を続けて行きます。コブラマンサ師匠はじめ、キロンボ的生き方のたち人たちを招待した通訳付きオンライン講演会なども企画中です。

【オンラインの良し悪しを超えて、生き方をシェアするプラットフォームを】

コロナ禍を乗り越えて来ている私たちは、否が応でもオンラインでの交流が徐々に日常に浸透し、オンラインをベースにして働き学ぶ機会が増えて来ています。

この変化には、現実世界とは相容れないコミュニケーション、SNSやメディアに過度に頼る、情報を必要以上に信用するようになってしまうなどの弊害もあります。しかし、そんな技術をあくまで媒体として利用し、個人個人がどう利用するかによっては、生活や考え方を豊かにしていく機会ともなり得ます。

日本から地理的にも反対側に位置するブラジルで、日本とはかけ離れたレベルでの貧困や犯罪の中で暮らし始めた私は、そんななかに生まれ暮らすファヴェーラの人々、子ども・若者たちの力強さや明るさに常に目を覚まされて来ました。

貧困の中だからこそ、そこらへんにあるモノから必要なモノを創り出したり、壊れたからすぐに買い換えなくても、多少不便でもなんでも乗り切って行ける力強い創造性がある。インフラが落ちてもなんとかやっていける=システムに頼りすぎずに生きていける強さがある。

[左:使い古された鍋は持ち手が付いていないものがほとんどだが、使えるものは使う。右:修理不可能な穴がある鍋は植木鉢代わりに。]

[左:果物運搬用の木箱や廃材を使って椅子やテーブルを配置した台所の一部で、買い物袋を洗って切って編んでロープを作っている様子。右:ペットボトル、ココナツの殻は植木鉢代わりに。ぶら下がった丸い編み物はココナツの葉っぱの工芸品。]

【日本の田舎へ移住する人たちと、ブラジルのキロンボ的生き方】

何もかもが便利になり、それが当たり前となるほど休みなく成長し続けた日本というシステムに住む私たち。

その裏側にある「当たり前な便利」を生み出している経済、モノづくり、流通、サービス、雇用のシステムに疑問を感じる人々が、例えば田舎の過疎地に移住し、ある意味「不便」な生活を選んだりしているのではないでしょうか。

そんな少しでも自然に近い環境で、自らの力で生きていきたいと選んだ人たちは、ある意味自分たちの環境の中で「キロンボ」を見つけ、ブラジルで支配から逃れ生き延びようとした人々と相通じる生き方を選択しているのではと、私には思えるのです。

日本でカポエイラが広がりつつあるのも、現代の日本社会で「内なるキロンボ」を探している人たちがカポエイラを通して、かつて日本の裏側で奴隷とされ、キロンボで自給自足の生活を求めた人々との繋がりを感じ共感しているからのようにも思えます。

そんな生き方を選ぶ人たちが増えつつある現在、日本とブラジルのまさに180度違う地同士から「キロンボ的生き方」という合流点として、共鳴し合うようなプロジェクトの基盤を一緒に創って行きませんか。

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