肌の色x性別=社会におけるスタート地点の国、ブラジルで。

目次

場所が変わらないと気づかなかったこと

日本の反対側から日本人が見た、日本。
ブラジルの反対側から来た日本人が見た、ブラジル。

多種多様な人々が住む広大なこの国で、特に黒人混血の割合が極めて高い東北部バイーア州首都、ここサルヴァドールでは、肌の色 x 性別 =社会におけるスタート地点とも言える公式が成り立っている。

ともあれば、有色人種であるという事実も忘れがちであり、あからさまな性差別も普遍化されてしまう傾向がある日本において、人種と性の社会構造について考える機会は少ない。

しかしながら、グローバル化した通信社会に生きる我々にとって、各人のアイデンティティと関わるとも言える、人種と性の問題を無視するわけにはいかない。それでも、そういうことに意識を向けるのには、なんとも居心地の悪さを覚えずにはおれない。

地理的にも、国民性も、文化的にも、全てが日本から正反対に位置するようなブラジルに住んで4年、奴隷制度を根強く引きずった、不公平な社会構造が今さらながら露骨に目に付く。失業、貧困、差別、犯罪といった社会的暴力が日常の「periferia(周辺・周縁)」の人々のなかで感じる事は、あるいは日本でも違った形の暴力として現れている気がしてならない。

日本の典型的な中流家庭で、何不自由なく育ち、生き延びていくための選択肢やチャンスに恵まれるようにと、両親は必要以上に私の教育に投資してくれた。その事実を今さらながら身にしみて感じさせられているのは、50歳も手に届くやっと今、ブラジル東北部バイーア州サルヴァドールのファヴェーラ(スラムと言われる場合もあるが、いわゆる低所得者地域)に住んでからだ。

日本を離れて気づけばすでに四半世紀が経っていた。比較文化論などという恐れ多いものでは無いが、観光やメディアでは見る事のできないリアルな体験を元に、ファヴェーラの貧民街から発信できる事は無いかと模索中である。

人種?性?は無理やり作られたもの?

さて「人種」とひとことに言っても、それを端的に説明できるだろうか?肌の色の違いでしょ、だけではあまりにも単純無垢過ぎる。

なぜならそればいわゆる西洋的ものの考え方・世界観から発明され意味づけされて来た、ある意味不自然なものだからとも言える。概念的に説明しようとしても、いつもどこか不自然さと無理が残る。

生まれた国?肌の色?髪の毛質?体つき?この「人種」があの「人種」よりも優れている、劣っている…そんな単純な理論づけで、いったいこの世界史上、どれだけの人々が科学的にまたはイデオロジー的に「劣等種」とカテゴリーされ、動物以下の扱いを受け、虐殺され、支配されて来ただろうか。そして今現在もされ続けている、ひいてはこれからもされ続けるのだろうか。

「性別」に関しては、あるいは人種よりは明白であるかもしれない。LGBTQの生き方・考え方が普及してきている現代においても、人種ほどは複雑な要素が無いように見える。しかし人種のカテゴリーと同じく、女性・男性のどちらかがより優秀であり、どちらかがより劣等であるという考え方が強く残る社会も多い。

サルヴァドールで見たアイデンティティの壁

1992年に日本を離れて以来、イギリスに23年住ませてもらったあと、ブラジルに来て4年が過ぎた。この4年間住んできたのは、ブラジル東北部バイーア州の首都にしてブラジル最初の首都、サルヴァドール。

もともとが16世紀以来の奴隷貿易で栄えたコロニアル都市である。当然ここは、広大なブラジル全土の中でも飛び抜けて有色人種、特に黒人混血の割合が多いことで知られている。

サルヴァドールはブラジル国内でも、アフリカ由来の音楽、食べ物、宗教などが色濃く、カーナヴァウ(カーニヴァル)もリオやサンパウロのそれとは異なる、ブロコ・アフロ(Bloco Afro)というアフリカ世界観(それがアフリカのどの国かという議題は、追って別に書きたいと思う)を打ち出したパーカッション楽隊とダンサーたちがメインとなる。

黒人意識をテーマに掲げた最初のブロコ楽団、Ilê Aiyê(イレー・アイエー)は1974年創立当時は肌の色が薄い者は、たとえ黒人の混血であれ参加を許されなかったほどラジカルだ。

そんなブロコがメインのカーナヴァウも、有名ミュージシャン出演のステージ(camarote)を楽しむためのチケットは非常に高額で、そんなものを買えるのは主に白人が中心だ。要するに音楽やダンスの大元は黒人たちの文化だが、そこから経済を回して行って金銭的恩恵を受けているのは白人たちが多い、という構図である。

サルヴァドールは常夏でビーチも多く、観光客も後を絶たない。旧市街地の、かつての奴隷制度の残酷さを伝える場所が今では、有名な観光スポットになっている、そんな都市。

カーナヴァウ期間以外でも、訪れる観光客は同じく主に白人が目に付く。彼らは楽しそうにそれぞれのポーズをとっては、ホリデーの思い出の写真を撮っている。それを見ながら、こんな奴隷制度の記憶が残る観光地で笑顔で記念撮影なんかするものか、と来てすぐに思ったものだ。

アイデンティティという不自由なもの

「自分にラベルをつけよ」
渡英2年目に視覚伝達学部に入学し、最初の授業の課題がこれであった。

記号論、構造主義、脱構築…思想界にポストモダンの風が吹き抜けていた90年代のロンドン、これらの思想をいち早くグラフィックデザインの思考に取り込んでいた、ラジカルなデザイナー、ポール・エリマン(Paul Elliman)が我々の3年間の担当教授となり、彼の最初の授業は、普通の自己紹介とは全く異なる、それはそれはラジカルなもので、衝撃を受けた事を覚えている。スタイリッシュさも半端無かった。

四半世紀経った今、この「自分にラベルをつける」課題のことをよく思い出すようになった。その課題は、A4版の白い厚紙を縦半分に切ったものに自分が自身につけたラベルを手書きで書き込み、それを胸の前で手に持ってパスポート写真を撮らせるというだけのもの。

今それを思い出すと、アイデンティティと呼ばれるものの、その不自然さ、窮屈さ、管理された感、自己・他者が思うアイデンティティとのギャップ………それがある種面白おかしく視覚化された秀逸な課題だった。デカルトの物心二元論の上に築き上げられた近代西洋の概念をシニカルに笑う、いかにもの英国人らしさ。

動物たちは自分のアイデンティティなど掲げて歩き回るだろうか?ラベルがつけられた動物というと、動物園の檻に入れられ自由を奪われ管理された個体を思い出す。

我々人間もアイデンティティや人種、性別、国籍、職業、そういったものから解き放たれた自然体で居ても、自分の先祖たちがどこから来たのかという記憶は喪われない、人種を超えてそんなことが当たり前に感じられるようにならないものか。

しかし残念ながら、そんなユートピア的な態度は抑圧され搾取されてきた「人種」にとっては無垢かつ有害なのである。アイデンティティを表に打ち出さなければ先祖性さえ否定される。生命力をそこからも奪われる構図が、いまだ西洋至上主義ともいえる世界観にはあるのだ。

それでも上述したイレー・アイエーは2010年のカーナヴァウより、初めて白人の参加者を受け入れた。しかしそれは非常な論議を醸し出したらしい。

先祖たちのことは誰しも身体に記憶に、無形の形で刻み込まれている。このことを忘れずに、外側から分断され管理されるためのアイデンティティを声高に叫ばなくても居心地良く生きていける、そんな世界に向かって行きたい。

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